船乗りの嫁’s diary

船乗りの嫁です。家に旦那が不在、嫁は何をしているのか?を綴っていきます。

「養われている」自分を脱却するにはどうしたらいいか。

むかつく旦那から「養われている」自分を脱却するにはどうしたらいいか。

 

タイトルの通り、今日はちょとめんどくさいことについて考えてみる。

 

個人的な感情に深く入る内容なので、あまり読んでて面白いものでもないと思う。が、今日はもんもんとする感情を理屈で整理する試みで、この場を借りる。

 

昨今、主婦が書いたコミックエッセイが流行っている。特に、主婦という立場の弱さが描かれた『夫を捨てたい。』や『離婚してもいいですか?』など、ニュースフィードに流れてきた広告をついついクリックしてしまう自分がいる。私も専業主婦になった身だし、夫がむかつくときはなおさら参考にしようと読んでみる。

 

だが、結果的に何の参考にもならない。共感はするが、理屈がないので得られるものがないのだ。誤解しないでほしいが、私はこれらエッセイが大好物の読者である。馬鹿みたいに感情が揺らぎ、涙したり、自分の経験に立ち返って「いやいやうちの旦那のほうがもっとひどいからね!あーむかつく!」と怒りが湧いたりするような奴である。

ただ、現実に戻ったときに、「さて、我が家はどうするか。どうもできねーやw」で終わってしまうのである。もちろん、作者たちもこんなわがままな読者のことなど知らん、書きたいから書いているだけだろう。

 

そこで、私も自分のため、挑みたいから挑むのである。「むかつく旦那から「養われている」自分を脱却するにはどうしたらいいか。」問題、考えてみる。

 

まず条件から。

  1. 私たち夫婦(二人とも同い年)は、子供がいない。
  2. 私は働いていない。旦那は船乗りで普段家に帰ってこない。
  3. 私は一人暮らし+多数のペットいる。
  4. 私は体が弱く、長時間働けない。
  5. そのため何度かパートをやっていたが続かない。

 

 

●我が家の相関図

 

     <旦 那>

 

↓養っている ↑上司みたいで落ち着かない

 

      <私>

 

  ↓世話している ↑餌くれ

 

    <ペットたち>

 

という関係で家庭が成り立っている。

 

子供もいない以上、私は戸建庭付ペット住宅で暮らすニートのような状態で、誰もが羨む生活をしている…と友達に言われたことがあるのだが、実際に暮らしてみるとだいぶちがう。

相関図で示したように、私が働いていないと、旦那が上司のように振舞うし、実際私も旦那が家に帰ってくるとソワソワする。これは関係性が平等でないことの現れである。それで上手くいっている家庭もあると思うが、うちはそうではない。

 

理由を考えてみたのだが、船乗りという特殊事情にあるように思う。旦那は休みなく何ヶ月も働き、長期休暇で家に帰ってくる。もちろん最初の1週間くらいは「がんばったね、おつかれさま!」とねぎらいの気持ちをもって私も好き好んで旦那の世話をする。

 

しかし数日も立てば、旦那の立場は夏休みの大学生とさほど変わらなくなる。毎日すき家やぱちんこやブックオフに行き、暗くなると遊び疲れて帰ってくる。帰ってくるなり、「マッサージしてかてー」と甘えてくるのだが、遊び疲れた奴をマッサージするほど主婦は暇じゃない。むしろ私のほうが必要である(体の不調により)。

遊び疲れて帰ってきて、買い物してきたおもちゃの袋を放置されたり、服をぬぎちらかして、その後ろから私はせっせと片付けをしていくのである。動物の世話にもイチャモンをつけられ、車の運転にも指示がある。味の好き嫌いも激しく、料理に関しては私はお手上げ状態である。「どこか外出する?」と聞かれ、私の案が通った試しがない。そう、基本的に彼はわがまま坊やなのである。

 

普通のサラリーマンで、毎日働き疲れ帰ってきた旦那出迎えるのと、遊び疲れた奴を出迎えるのではこっちの心持ちがだいぶかわってくるのである。この長期休暇の間、私の不満ボルテージは溜まりにたまり、いつか爆発した時、離婚するのではないかと自分を恐れている。

 

さて、愚痴はここまでとして。

というわけで、この溜まった不満を爆発させる前になんとか理屈をこねりだし、自身を落ち着かせたいというのが今日の課題である。

 

 

やっぱり問題は旦那の甘え方、わがままが異常なことにある。

ただ、長期で休みなく働いたのだから対価が欲しい彼の気持ちは十分わかる。私が逆の立場だったら同じ要求をしていたかもしれない。いや、私には、旦那のように休みなく働くなんて何回生まれ変わったところで無理だ。

 

そう考えていくと働いていないニート(私)は、主人にとって戸建て庭付きペット住宅のペットなのである。ニートは餌を下さるご主人様のためにお座りしたり、フリスビーをとりにいったり、一芸を披露しなければならないのである。それが養われている「対価」である。「等価交換」である。それは世の中のコトワリである。

 

 

ここでフェミニストが与えてくれた理屈武器「主婦の月収は60万円」に値する!を使ってみよう。いやそれは子供がいた場合の話なので、子なし専業主婦の私は低めに見積もって月収20万円だとしよう。旦那からそれくらいもらってもいいのではないか?そうすることで私は旦那が上司だとしても「働いている」感で自分の気持ちを納得させれるのではないか?

 

しかしこの額、実に妥当な額である。

女性が一人暮らしで生活していると家賃光熱費携帯代日用品等々、なんやかんやで15万円は出費する。それに加え奨学金返済、医療保険代、ペットお世話代が入るとあっという間に20万円になる。

 

そうなのだ。もう私は生きているだけで旦那から20万円をもらっている状態なのだ。そして、この20万円という金額、私が派遣社員だった時のお給料そのものである。その時代も、貯蓄に回すことも余暇に充てる金もなく、毎日その日暮らしのような生活であった。そう考えると、派遣社員はボーナスがなかったが、今は誕生日やクリスマスにプレゼントがあり、それがボーナスになっている気があする。

 

さて、これでも納得できない自分がいる。労働環境の問題が解決されていないではないか。

以前働いている時も体がしんどかったが、実は今も若干きつい(旦那に振り回されるから。詳しくは前記事にて書いてあるよ)。

働いていても主婦業でも、あまり体のきつさは変わらないのである。おまけに主婦業は実質的な稼ぎではないので、精神的に肩身が狭い。

 

つまり、働こうが主婦業だろうが、なんとなく貧乏に暮らしている「気がする」のである。生き抜くために生活している。なんだか、ずっと苦しいところから抜け出せていない気がする。自由に使えるお金があまりないせいだろうか。友達と旅行に行く自由もない。習い事をする自由もない。旦那の許可がないと家事のお金も動かせない。資格を取ることもできない(資格代が高いと反対された)。

 

 

 

そう考えてみると、自由に使えるお金がないことが、根本の不満のように思えてきた。自分を自由にする数万円が足りない、と言い換えることもできる。つまり、欲しかったのは「ちょっとの自由」である。

 

月収20万円ではなく、25万円だったらちょっとゆとりができる。習い事だってできる、そこで友達も作れる。投資にだって使える。

 

一見すると、旦那が船に働きに出ていて、ニート悠々自適一人暮らしのような私である。だが実は戸建て庭付ペット住宅のペットであり、自由がなかったのである。人としての尊厳を取り戻すために、あと数万円、数万円でいいんだ。必要なんだ。

 

ならば働くしかあるまい。

 

しかし、躓くのは体の弱さである。働き始めるとパート代の半分以上は病院代へ消えていく。(今はきついが働いていない分、医療費はかけていない。家で寝ればいいだけである。)くそう…てか体が弱くて働けないって障害者認定されてもいいはずじゃん…。あれ?てか私、もしかして障害者じゃない?手帳もらえるんじゃない?そしたら障害者として働けるところ探せるんじゃない?????

 

 

 

ということでこれまでの脳内経緯まとめ。

 

旦那への不満たまってる

でも専業主婦だからしかたないよね、主婦業ですもん

でも現状、主婦業労働環境過酷よね

身体的に、働くのも過酷、主婦業も過酷どうすればいいん

でも結局働けたら根本の問題解決するんじゃね?

障害者手帳取ればよくね?

 

 

 

ということで、今役所とか病院とかもろもろ動き回って、働けるようになろう計画始動中。なんかね、すごいよ。世の中には働きたいけど訳あって働けない人たちのために就労移行支援施設っていうのがあるみたい。そこで訓練したり、障害者枠での就労をサポートしてもらったりするんだって。

 

先日その施設に相談に行ってみたら、私、多分、障害者として訓練させてもらえそうなレベルらしい。いやー、知らんかったわ。生活に不便しまくってたけど…。さすが日本は福祉国家なだけあるね。

 

 

というわけで、今日の問題「むかつく旦那から「養われている」自分を脱却するにはどうしたらいいか。」のこたえ。

障害者手帳もらって働く。」でしたー⭐️

 

ぜったい誰もたどりつけない…笑

脳内がすっきりしたところで、ではでは。